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philosophy

日輸車輌の哲学

Prologue

無いなら、無いものを作ればいい

日輸車輌の創業者である"名取義信"は、山梨県の武田の隠れ里と言われる山奥で育ち、山と川しかなく、食べるものも遊ぶものも満足に無い荒れた場所で生まれ育ちました。 日々生きるには、子供でも家の手伝いをする、無いものは作る、山から探すと言う生活をしていたと聞きました。 尾根を越えて数キロ先の学校に行く弁当箱は、弁当を持っていくのではなく、帰りの山中の沢でサワガニを獲って詰め、鞄には山菜を詰めて獲って帰るために持って行ったとか。 おなかが減って食べるものがなく、山の実や桑の実を腹の繋ぎに食べ飢えを凌ぎ、腹が減りすぎて兄弟と襖紙を食べたら消化しないんで暫く腹持ちが良かったけど食べたら親に怒られたなど、楽しい思い出は何もないようでした。 村の尋常小学校を卒業後、長男ではない創業者は、仕事を探して、大正13(1924)年12月1日、当時にぎわっていた横濱に単身で向かいました。そこで最先端の自動車の整備工と言う職に就き、満州にわたる機会があり満州へ行きましたが、満州は無いものだらけ、買うにも買えなし、ガキの頃は無いものは作っていた、無いものは作ればいいと・・・。

そこで日輸車輌の原点でもある「無いなら、無いものを作ればいい」と言う精神が芽生えました。

Beginning

個人で自動車整備をスタート

その後、昭和7(1932)年に満州から帰り個人で自動車整備をスタート、昭和12(1937)年7月17日「名取自動車工業」創業、小さいながらお客様に重宝される自動車修理工場を営んでいました。しかし、第二次世界大戦が間もなく始まり、創業者も横須賀海軍へ従軍し戦火をくぐりました。そして戦後、空襲で焼け野原になった創業の地に、焼け野原にトタンで作った自動車修理工場を再開しました。

「無いなら、無いものを作ればいい」
日輸車輌と戦後日本の復興精神"

戦後は車の修理したくても部品がない、工具もない、部品もない、何もない。 そうだ、無いなら工具を作ればいい、無いなら部品を作ればいい、焼け跡から残った工具を探し、焼けた車から部品を再生すればいい。

そんな日輸車輌の精神「無いなら、無いものを作ればいい」精神が、戦後日本の復興期に、ほんのごく一部にしか過ぎませんが少しは貢献していたのではないかと思います。

Start

分からなければ、分解して
もう一度組み立てたらいい

昭和27(1952)年4月28日、進駐軍が撤退し戦後日本も昭和31(1956)年7月17日、政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言し戦後復興を完了。
今後は、日本国内の消費経済に進もうという中「物流」と言う言葉が注目され、日本の問屋制度の波も加わって倉庫や流通の業界が大ききくなり、人力で運ぶ時代から機械で運ぶという時代へバトンタッチすべく運搬機の発売が始まりました。
その名もフォークリフト。

日本の電力革命
フォークリフトと電力供給の変遷

昭和33(1958)年、日本輸送機株式会社が「リーチ式バッテリーフォークリフト」の製造開始、大量輸送の幕開けを予感する機材でした。しかし世間は、まだ停電がたびたび起きる世の中、電力不足に充電もままならない状態でしたが昭和38(1963)年6月5日、関西電力「黒部ダム」完成と同時に日本全国にも水力発電、火力発電施設が整いもはが停電の心配がない国になり今までのエンジン式からバッテリー式の需要も増加していきました。

そんな中、名取自動車工業に、日本輸送機株式会社より関東地域のフォークリフト販売・整備を請け負って欲しいという事になり、昭和37(1958)年11月4日に日輸車輌株式会社が東京都文京区千石に誕生しました。

解からなければ分解し、組み立て直す
日輸車輌のフォークリフト革命

しかし最初から至難の連続でした。今まで培ってきたエンジンの知識は全く役に立たない、この当時バッテリーを採用していた、ニチユブランドは、モーターを使用した駆動部分でモーターと言う未知の構造体。 今まで培ってきたエンジン整備が通用しない、整備情報もメーカーに聞きながら集めるしかなく、マニュアルと言う概念が整ってないない時代に創業者は、日輸車輌のチャレンジ精神に似た「解からなければ、分解して、もう一度、組み立てたらいい」と分解と組み立てを繰り返し、フォークリフト知識を収集し始めました。

そんな日々の中、先に名神高速道路が昭和38(1963)年7月16日、東名高速道路が昭和43(1968)年4月25日に開通し東京~名古屋~大阪を結ぶ日本の大動脈が誕生すると今まで運べなかったものが運べるようになり、トラックの往来が激しくなればなるほど、倉庫や市場でのフォークリフト需要は高まり、多くの注文・整備が舞い込み千石と埼玉県戸田市(現:本社)に工場を開設し現在の日輸車輌の礎を作りました。

Rough seas

試練を越え、信頼を勝ち取る

競争と創造力
日輸車輌と日本のフォークリフト市場の闘い

しかし、日輸車輌も順調に成長できたわけでもありません。数多くの試練があります。フォークリフトは、昭和31(1956)年、先行して豊田自動織機製作所(現:トヨタL&F)が、中部地方を中心にフォークリフトを生産開始しており、資本力と組織力を背景に昭和41(1966)年以来、国内フォークリフトシェアNo.1を維持しています。

ニチユブランドを背負った創業者も、関東地方で熾烈なシュア合戦に挑んでいました。大手の資本力に戦うには、きめ細やかなサービスとお客様の要望を叶えるという手法で、お客様を拡大、ここでも「無いなら、無いものを作ればいい」と言う精神でお客様からの要望があれば、メーカーで作れないアタッチメントなどを独自に開発してお客様に提供していました。
工場には、創業者の書いた殴り書きのような製作図面がよく置いてあったようです。

信頼と拡張
日輸車輌の成長と競争の中で

「無いなら、無いものを作ればいい」精神でお客様からの信頼を勝ち取るり、ライバル会社を入れさせない環境に努力していました。併せて、日輸車輌は、技術力と細やかなサービスを提供するために、拠点を板橋、川越、立川(現:東京ニチユ)と増やしその後も伊奈工場兼営業、熊谷、三芳工場兼営業所、新木場(現:板橋と合併)と営業所を開設し経営を続けてきましたが、バブル崩壊やリーマンショックなどの荒波に揉まれ、また、大手の会社間のしがらみ、巨大資本との戦いの中で次第に「無いなら、無いものを作ればいい」と言う精神が薄れ、日々の戦いに忙殺される時代がありました。

Revival

新しいステージへ

新たなる展望
名取雅興の決断と埼玉西工場の誕生

日々の荒波に揉まれる中でも復活を考える中で現社長の名取雅興は、思い切った決断で今ある資産を有効活用し、より大きな工場を作り生産性の向上、資産性の向上を目指し、埼玉県三芳町に新たな令和2(2020)年に埼玉西工場を開設、それまでの戸田工場、約400坪から840坪の倍に増加、整備ピットだけでなく、駐機工場倉庫も併設しました。

コロナ危機を乗り越えて
逆境からの再生

しかし、開設と同時にコロナが流行し、またスタートから荒波を被る状況で、工場の稼働も度々ストップ、新規受注もストップする中で社員たちから日輸車輌本来「無いなら、無いものを作ればいい」の精神が復活。このコロナの時間があるうちにお客様の要望するシステムを作ろうとなり、社内有志による研究チーム発足、何かを作ろうというアイディアを出し始めました。

そんな中、お客様からこんな機械が欲しい、システムが欲しいと様々な要望が徐々に舞い込むようになり「無いなら、無いものを作ればいい」の精神で今では大手開発企業様と共同研究に至るまでになりました。 社内にもコロナ収束が見える中、令和4(2022)年には、若手整備士の整備能力向上のためにスキルブーストセンターを開設、令和5(2023)年次の一手には中古車再生専門工場を開設、令和5(2023)年9月にはシステム開発センターが開設されます。

日輸車輌の「無いなら、無いものを作ればいい」精神の復活と同時に新しいステージに向かっての幕開けとなります。

Epilogue

お客様に喜んでもらえる
サービスのため

新たなビジョンと使命

令和5(2023)年、日本には177万の企業があり、その中では、日輸車輌は勿論のこと中小企業です。しかしながら、従業員数で言うと日本の上位5.7%に含まれていますが、規模だけが会社の良さではありません。お客様にも日々お叱りを受けることがあります。日々改善しようと社内でも様々な議論が連日されています。今までは、お客様の要望を忙しい、出来ないというだけで無視して来たのではないか、多くのライバル会社に最初から立ち向かう勇気もなく、逃げてきたのではないかと言う疑問がクローズアップされ、これを改善するにはどうしたら良いのかと議論を続けています。

未来への道
日輸車輌の無限の可能性

日輸車輌は、メーカーの合併により組織力、販売力も巨大化した三菱ロジスネクストの代理店として、日本輸送機時代から培ってきた、お客様を大切にし今まで提供させて頂いてきた商品やサービス以上に提供できる企業を目指すため、創業者の精神でもある「無いなら、無いものを作ればいい」そんな馬鹿なもの作ってと言われても、1社のお客様に喜んでもらえるサービスなどを提供できる企業を目標とします。

無いなら、無いものを作ればいい
If you don't have it, you should make something that doesn't exist.

ただ製品を売るだけの代理店ではなく、無から有を生み出せる企業を目指し日々前に前へ前進する、そんな会社を日輸車輌株式会社と言います。