無いなら、無いものを作ればいい
日輸車輌の創業者である"名取義信"は、山梨県の武田の隠れ里と言われる山奥で育ち、山と川しかなく、食べるものも遊ぶものも満足に無い荒れた場所で生まれ育ちました。 日々生きるには、子供でも家の手伝いをする、無いものは作る、山から探すと言う生活をしていたと聞きました。 尾根を越えて数キロ先の学校に行く弁当箱は、弁当を持っていくのではなく、帰りの山中の沢でサワガニを獲って詰め、鞄には山菜を詰めて獲って帰るために持って行ったとか。 おなかが減って食べるものがなく、山の実や桑の実を腹の繋ぎに食べ飢えを凌ぎ、腹が減りすぎて兄弟と襖紙を食べたら消化しないんで暫く腹持ちが良かったけど食べたら親に怒られたなど、楽しい思い出は何もないようでした。 村の尋常小学校を卒業後、長男ではない創業者は、仕事を探して、大正13(1924)年12月1日、当時にぎわっていた横濱に単身で向かいました。そこで最先端の自動車の整備工と言う職に就き、満州にわたる機会があり満州へ行きましたが、満州は無いものだらけ、買うにも買えなし、ガキの頃は無いものは作っていた、無いものは作ればいいと・・・。
そこで日輸車輌の原点でもある「無いなら、無いものを作ればいい」と言う精神が芽生えました。